本文へジャンプ 2005年4月11日更新 
所長プロフィール

私の履歴

昭和34年 静岡県(旧)静岡市に生まれる
       静岡県立静岡東高等学校卒

昭和60年 早稲田大学商学部を卒業
       青山監査法人(現中央青山監査法人)入所
       働きながら、公認会計士を目指す

昭和63年 公認会計士二次試験合格
       一部上場会社、外資系企業等の会計監査に
       従事する

平成5年   公認会計士登録(第11490号)
        青山監査法人横浜事務所において、みなとみらい21等 の
       行政関係各種プロジェクト立ち上げ、株式新規公開 準備
       等、幅広いコンサルティング業務に従事する

平成6年   静岡県警察本部に財務捜査官として採用される
       大手スーパー代表取締役による粉飾決算事件、学校法人
        理事長による多額背任事件等、多数の県内大型経済事犯
       の捜査において、中心的役割を果たす

平成16年 静岡市沓谷において独立開業 税理士開業登録(第101206号)

おまわりさんになったわけ

 監査法人にいた時から、私は資料相互のつながりを解明することに無上の喜びを感じていました。「会計監査」という仕事は、直接接しない皆さんにはなかなかなじみがないものですが、いわゆる監査の「現場」は、膨大?な資料相互のつじつまが合っているかを確認し、資産や負債、あるいは取引記録の正確性(会計士の用語では「適正性」)を検証していく仕事なのです。
 領収書と伝票、会計帳簿の整合性はもちろん、契約書や登記簿、そのほかありとあらゆる資料をひっくり返して、ちょっとしたメモ書きも見逃さず、真実に迫る。ちょっとかっこいいんですが、パズルを解いてゆくのと同じ面白さがあるのです。
 会計士の誰もがそういう人間か、というとそうでもありません。実際私が警察に入ると決まったとき、誰もが「ぴったりだ」というのです。与えられた時間を度外視して、徹底的に真実を追究するのが会計士として正しい姿勢かというと、必ずしもそうとはいえないのです。私のそうした資質は犯罪捜査というフィールドではそれなりに役に立ったのではないかと 思います。
 じゃあ、それがおまわりさんになった理由かといえば、正直全然違うのです。
 私は平成3年に妻と結婚したのですが、妻は静岡県の東部で学校の先生をやっていたのです。そのため私は都内から静岡県の富士市に引越し、横浜まで新幹線通勤を続けていたのです。知っている人は知っているのですが、公認会計士の仕事というのはわりと不規則な仕事はで、決算期には家に帰れなくなって事務所やサウナに泊まることもよくあったのです。業界の人ならばよく知っている青山監査法人の大量移籍騒動の始まりのころで、横浜の事務所もガタガタしだしていました。
 そんな時、妻が県中部の学校に転勤になりました。妻の勤務地に近いところに引っ越すことにしたのですが、当然私の通勤距離はより長くなります。確かに新幹線通勤は快適といえば快適なのですが、それにも限度があります。
 丁度そのころ千葉県警が、全国初の財務捜査官を採用したというニュースがあり、静岡県警でも採用するという新聞記事が出ました。正直なところ、腕に覚えはありましたし、事務所内部のゴタゴタにも辟易していた中、おまけに通勤も遠い、ということで、「一丁やってみるか」、と応募したのです。
 巷で思われているような高倍率ではなかったのですが、運よく?採用されることになり、平成6年10月20日付で、静岡県警初の財務捜査官となったのです。
 警察に入って良かったのかって?・・・それについてはまた改めて。

おまわりさんを辞めたわけ

 自分で言うのも何なのですが、私は財務捜査官としては十分実績を残せたほうだと思います。全国紙の1面を飾るような大事件も、小さくとも記憶に残る事件も、それなりにこなしてきました。
 私が警察に入ったころは、丁度バブル崩壊の後、変な言い方ですが、『失われた10年』がようやくその姿を見せ始めたころです。
 警察に入って最初のころは、暴力団の資金源犯罪を追うということで、東京に出張ってバブル企業の資金の動きを追いかけていたのですが、とにかく常識では考えられないような融資ばかりを見せられていたのです。そのときはそれが暴力団の威力を背景にした融資なのかと考えていたのですが、それから程なく『東京協和、安全信用組合』、いわゆる二信組の破綻に始まる第1次金融危機の嵐が訪れました。私も一時期警視庁に派遣されたのですが、そのとき初めて大型経済事犯の捜査現場を体験したのです
 丁度参考人の取調べにも参加し、若干犯罪捜査の面白さも感じ始めたときだったのですが、なにか自分の『運命』、『使命』のようなものを感じたのです。当時「全国財務捜査官会議」というのが開かれたのですが、堂々と事例を発表する警視庁や大阪府警の同輩を見て、活躍の場があるのをうらやましく思ったものです。
 その後全国にこの種事犯のスペシャルチームができたのですが、それから程なく山一証券、北海道拓殖銀行の破綻から長銀、日債銀の破綻へと続く第2次金融危機が起こりました。その中で静岡県警は大手スーパーの元社長らによる粉飾決算事件など、大型経済事犯で立て続けに3年連続警察庁長官賞を受賞するという実績を上げました。これら事件は全国警察の注目するところとなり、その捜査手法についての照会も数多く受けました。その成果には十分満足できましたし、まさにこれこそが自分の『使命』であると実感できていたのです。
 しかしこのお祭りのような時期が過ぎ、この種の事件のネタもなくなったとき、私は自分が今後警察官として生きていくべきかどうか、という課題と直面せざるを得なくなったのです。確かにこれら大型経済事犯の検挙解明について、私の知識と経験は必要だったのですが、それ以外の事件について静岡県警は十分な処理能力を持っているのです。このまま警察官としてそこそこの仕事をして大過なく過ごす、という選択肢も当然考えたのですが、他の警察官がうまくできることをあえて私がやる必要があるのか、私の『使命』はそれで終わりなのか、と思うようになり、自分の新たな可能性にかけるべく、独立開業を決意したのです。
 今私は、『私のやるべきことは、私自身が経験した稀有の体験を分かりやすく伝え、これを皆さんの暮らしや事業経営に役立てていただくことではないか』と考えています。

 これから財務捜査官を目指そうと考えているアナタ、一度メール等にてご相談ください。何かの役に立つと思います(ハンドルネームだけでは回答しません。本名を名乗ってください)。

私が皆さんにできること

 可能性って何だ、と聞かれるとちょっと悩んでしまうところもあるのですが、実際のところ、このまま警察官を続けていってどこまで行くのか、先が見えてしまったのです。
 実は私、3年前に現在の事務所地に家を買ったのですが、丁度そのすぐ後に『金持ち父さん・貧乏父さん』という本を読んだのです。お読みになった方はお分かりになると思うのですが、あの本の基本的な考え方は、『資産とはキャッシュ・フローを生むものである』ということと、『成功するためには自らビジネスを起こせ』という点になります。『持家は負債だ』という考え方は、なるほど納得できたのですが、家を買ったばかりでしたから、心穏やかではなかったのです。
 以来「金持ち父さんシリーズ」にはまってしまい、総て読破しているのですが、それはともかく、このころから自分はいったい何をやりたいのか、と考え始めたのです。
 警察というのは「捕まえてなんぼ」という組織です。特に大型経済事犯というのは新聞やテレビでも大々的に報道されますし、そういう事件に自分が関与しているというのは、正直なんともいえず気持ちのいいものです。被害者や関係者、そして時には被疑者(犯人)からも「ありがとうございました」と頭を下げられたときには、確かに「刑事冥利に尽きる」とはこのことだと感じるのです。
 いつも純粋にそのことだけを考えていればいいのですが、じゃあこのまま警察官として定年までやっていきたいのか、といえば、そんなことは考えたこともなかったのです。
 企業の経営者は、多くの従業員や利害関係者に対して重い責任を負っています。私の事件にかけるエネルギーは、「こうした企業の社会的役割を忘却した経営者は許せない」というものだったのです。こうした大型経済事犯でなくても、事件を検挙した際には満足感が得られるのですが、それが自分の使命か、といえばちょっと違うのではないか、と思いはじめたのです。
 そうした違和感が自分の中でなかなか整理できなかったのですが、結局私がやりたいことは、「検挙により不正を糺すこと」より「企業や事業者の皆さんが、その社会的役割を全うできるよう、お手伝いをする」ということではないか、と思い至ったのです。
 私はこれまで会計事務所、警察それぞれ10年の経験の中で、かなり極端なケースを経験してきていますが、こうした経験を生かし、企業経営に対して適切なアドバイスを行っていくことができるのではないか、と思っています。

活動履歴

平成17年1月19日  静岡信用金庫、内部管理セミナー実施
平成17年1月20日  静岡新聞掲載
平成17年1月29日  静岡信用金庫、職員向けセミナー実施
平成17年2月24日  南藁科農協において無料税務相談を担当
平成17年3月14日  中小企業静岡2005年3月号に寄稿
平成17年4月 8日  テレビ静岡「スーパーニュース」で当事務所が紹介される
TOP

バナー