こちらのページでは、杉本公認会計士事務所の日々の出来事、
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おまわりさんになったわけ

監査法人にいた時から、私は資料相互のつながりを解明することに無上の喜びを感じていました。「会計監査」という仕事は、直接接しない皆さんにはなかなかなじみがないものですが、いわゆる監査の「現場」は、膨大?な資料相互のつじつまが合っているかを確認し、資産や負債、あるいは取引記録の正確性(会計士の用語では「適正性」)を検証していく仕事なのです。 領収書と伝票、会計帳簿の整合性はもちろん、契約書や登記簿、そのほかありとあらゆる資料をひっくり返して、ちょっとしたメモ書きも見逃さず、真実に迫る。ちょっとかっこいいんですが、パズルを解いてゆくのと同じ面白さがあるのです。 会計士の誰もがそういう人間か、というとそうでもありません。実際私が警察に入ると決まったとき、誰もが「ぴったりだ」というのです。与えられた時間を度外視して、徹底的に真実を追究するのが会計士として正しい姿勢かというと、必ずしもそうとはいえないのです。私のそうした資質は犯罪捜査というフィールドではそれなりに役に立ったのではないかと思います。 じゃあ、それがおまわりさんになった理由かといえば、正直全然違うのです。

私は平成3年に妻と結婚したのですが、妻は静岡県の東部で学校の先生をやっていたのです。そのため私は都内から静岡県の富士市に引越し、横浜まで新幹線通勤を続けていたのです。知っている人は知っているのですが、公認会計士の仕事というのはわりと不規則な仕事で、決算期には家に帰れなくなって事務所やサウナに泊まることもよくあったのです。業界の人ならばよく知っている青山監査法人の大量移籍騒動の始まりのころで、横浜の事務所もガタガタしだしていました。 そんな時、妻が県中部の学校に転勤になりました。妻の勤務地に近いところに引っ越すことにしたのですが、当然私の通勤距離はより長くなります。確かに新幹線通勤は快適といえば快適なのですが、それにも限度があります。 丁度そのころ千葉県警が、全国初の財務捜査官を採用したというニュースがあり、静岡県警でも採用するという新聞記事が出ました。正直なところ、腕に覚えはありましたし、事務所内部のゴタゴタにも辟易していた中、おまけに通勤も遠い、ということで「一丁やってみるか」と応募したのです。 巷で思われているような高倍率ではなかったのですが、運よく?採用されることになり、平成6年10月20日付で、静岡県警初の財務捜査官となったのです。警察に入って良かったのかって?・・・それについてはまた改めて。

おまわりさんを辞めたわけ

自分で言うのも何なのですが、私は財務捜査官としては十分実績を残せたほうだと思います。全紙の1面を飾るような大事件も、小さくとも記憶に残る事件も、それなりにこなしてきました。 私が警察に入ったころは、丁度バブル崩壊の後、変な言い方ですが『失われた10年』がようやくその姿を見せ始めたころです。
警察に入って最初のころは、暴力団の資金源犯罪を追うということで、東京に出張ってバブル企業の資金の動きを追いかけていたのですが、とにかく常識では考えられないような融資ばかりを見せられていたのです。そのときはそれが暴力団の威力を背景にした融資なのかと考えていたのですが、それから程なく『東京協和、安全信用組合』いわゆる二信組の破綻に始まる第1次金融危機の嵐が訪れました。私も一時期警視庁に派遣されたのですが、そのとき初めて大型経済事犯の捜査現場を体験したのです。

丁度参考人の取調べにも参加し、若干犯罪捜査の面白さも感じ始めたときだったのですが、なにか自分の『運命』『使命』のようなものを感じたのです。当時「全国財務捜査官会議」というのが開かれたのですが、堂々と事例を発表する警視庁や大阪府警の同輩を見て、活躍の場があるのをうらやましく思ったものです。 その後、全国にこの種事犯のスペシャルチームができたのですが、それから程なく山一証券、北海道拓殖銀行の破綻から長銀、日債銀の破綻へと続く第2次金融危機が起こりました。その中で静岡県警は大手スーパーの元社長らによる粉飾決算事件など、大型経済事犯で立て続けに3年連続警察庁長官賞を受賞するという実績を上げました。これら事件は全国警察の注目するところとなり、その捜査手法についての照会も数多く受けました。その成果には十分満足できましたし、まさにこれこそが自分の『使命』であると実感できていたのです。

しかしこのお祭りのような時期が過ぎ、この種の事件のネタもなくなったとき、私は自分が今後警察官として生きていくべきかどうか、という課題と直面せざるを得なくなったのです。確かにこれら大型経済事犯の検挙解明について、私の知識と経験は必要だったのですが、それ以外の事件について静岡県警は十分な処理能力を持っているのです。このまま警察官としてそこそこの仕事をして大過なく過ごす、という選択肢も当然考えたのですが、他の警察官がうまくできることをあえて私がやる必要があるのか、私の『使命』はそれで終わりなのか、と思うようになり、自分の新たな可能性にかけるべく、独立開業を決意したのです。 今私は『私のやるべきことは、私自身が経験した稀有の体験を分かりやすく伝え、これを皆さんの暮らしや事業経営に役立てていただくことではないか』と考えています。  これから財務捜査官を目指そうと考えているアナタ、一度メール等にてご相談ください。何かの役に立つと思います(ハンドルネームだけでは回答しません。本名を名乗ってください)。

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